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賢治のブログらしく(その2)☆プロフィール☆ [絵画]

わたなべ  けんじ

渡邊賢治

1990年札幌市生れ

北海道真駒内養護学校高等部卒業。

 

陽気で優しくておしゃべりで歌と電車とアスレチックジムといたずらが大好きな男の子、賢治の体や知能に、徐々に症状が現れたのは3歳を過ぎた頃からです。
何年も病院を廻り6歳で*「ムコ多糖症ハンター症候群Ⅱ型」という難病と判明しました。
この病気は体内の酵素がたった1つ欠けているために分解できない老廃物が脳や内臓、骨などの全身にたまり障害が現れて死に至る進行性の病気で、当時は治療法も薬もありませんでした。
ただ研究段階ながら、唯一進行を止める手段に『骨髄移植』がありました。
賢治は幸運なことに姉の優香と骨髄の型が一致したため平成
9年7歳の時に札幌医大病院で骨髄移植をしました。
この病気では北海道で初めての移植でした。

辛い治療のストレスからなのか、それとも病気がいっきに進行してしまったのか、長い入院生活と自宅療養を終えた頃、賢治からは『歌』も『言葉』も消えていました。食事や排泄も、もう自分では出来ません。
でも、骨髄移植は成功しました。
賢治の体の中で、姉の血が生き始めて、欠けていた酵素を作り出してくれました。
内臓の腫れも治まりました。
皮膚や関節もずいぶん柔らかくなりました。
脳の萎縮も止まりました。
もう、病気の進行に怯えることはありません。
失ったものもたくさんありますが、賢治には最大の宝、命と笑顔、が残りました。
賢治は10歳の頃から絵を描きはじめました。
きっかけは、手にした物を何でも放り投げる癖を生かして絵筆を持たせたことです。
どこへ飛ぶかわからない筆が、和紙の上で重なり逢って生まれ出る賢治の色。
偶然が成す筆跡、線、空間。その意図の無い絵は不思議にも心を揺さぶられるものでした。
こうして始まった筆投げ遊びの絵画制作は、次第に賢治の意欲で広がりを見せるようになりました。
好きな色を自分で選んでは、
力強く何度も筆を叩きつけたり手の平や指先を使って絵の具を塗り、
また、
和紙などを絵の中で転がしたりキラキラの粉を撒く。
自分の世界をどんどんと広げるとともに、
賢治は絵を描く作業に、自身の喜びと誇りを感じるようになったようです。

渡邊 賢治~Kenji~の絵は、まるで何かの使命を果たすかのように、
彼の『歌』と『言葉』を発しています


現在、在宅介護生活で、身辺全介助、酸素管理の中、絵画制作に励み続けている。
2004年北海道水彩画展にて奨励賞受賞。
2005年北海道肢体不自由児者福祉連合協会主催作品コンクールにて北海道知事賞受賞。
2002年から現在まで、北海道をはじめとして、東京、愛媛、ロンドン、シドニーなどで絵画を展示。
2003年からはじめた個展「Kenjiぼくのうた」の開催は現在も継続開催中
「いけまぜアトリエ」の一員として、ジョンソン・エンド・ジョンソン社のカレンダーなどに絵が採用されている。
渡邊賢治作品集 「Kenjiぼくのうた」より
   「人は皆、生かされて生きている」と 
幼い身で教えてくれた彼のその絵は
人の痛みを聞き、
優しくうけとめ、喜びを聞き、希望をしるし、夢を照らし、
観てくださる あなた と会話しているのです。

 


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