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優香の留学話しから [今を歩みつづけるはなし]

少し前のこと

長年お世話になっている、元高校英語教師のY先生と
アメリカへの留学経験のあるRさんと
これから留学に行く大学生のK子ちゃんと、お母さん
そして優香と私
そんな6人で中華料理店でワイワイやりました。
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留学も短期ならば楽しい思い出だけ[手(チョキ)]という人も多いようですが
長期留学経験者Rさんと優香の口からは
楽しい経験、貴重な経験が語られたのは勿論ですが
「キツかったぁ〜。」
「くじけそうな事が何回もあった。」
「とにかく帰りたいと思った頃があった」
「ホームシックの時、日本にかけた国際電話料金が高くて〜高くて〜」(今のようにインターネットで無料で話せる手段はありませんでした。)

はじめは、ただ、英語が話せない日本人
というだけで
学校の同世代の子は容易に、
弱い奴をコミュニティーに見〜つけた! ! そんな感覚だから
仲間はずれにされたり、とても低く扱われたり、また人種差別もあり、めげることも多かった
などなど
過ぎた留学経験の時間に、共通の苦い経験を持っていました。


「いいな〜優香ちゃんは留学できて」

あの当時、優香世代の子は、簡単にこの言葉を口にしていました。


確かに貴重な経験です。
でも
お金や現実生活に余裕があって"語学"留学したわけではありません。
"語学"のフォローは無い芸術高校留学です。
また、日本に残る理由はたくさんあり、それでも行くという現実でした。
遊び じゃない、学び なのに
その学びを求めることに、後ろ髪を引かれ、罪悪感すら感じて渡英しようとしていた16歳の心を思い返すと
子供は大人の事情によって困難を与えられてしまうのだなぁ〜と申し訳なく思いました。

留学して何かを得られる確証はなし。
若い、その肩に、たくさんの重みを背負っての留学でした。

一般的に留学と聞くと
優しい人たちに囲まれて、その国の言葉がわからなくても誰かがサポートしてくれたり、ホストファミリーなどに守られて
海外ライフをエンジョイしているイメージが多いのでしょうか?

でも実際には
長期留学の場合、困難が多くて、卒業することなく途中で日本へ帰ってしまう子は多いようです。

優香は
私の場合は、泣いて帰れるような家庭環境じゃなくて良かった[あせあせ(飛び散る汗)][わーい(嬉しい顔)]
と言いました。
親の私は、[あせあせ(飛び散る汗)]良いのか。。。???すまないねぇ〜[ふらふら]という気持ちです。

私は
優香が日本で休暇を過ごして、また来期へと渡英するたびに
飛び去る飛行機を見ながら、千歳空港でいつも泣いていました。

私自身の寂しさよりも(私の近くにはいつも賢治がいてくれましたから)
優香の大変さを想像しての辛さが大きかったなぁと、あの頃を思い出します。

イギリスの高校生活での人間模様を
優香はピラミッドに例えて説明しました。
よく話しを聞くと、ピラミッドじゃなくてダイヤ型の角錐なのだと思います

てっぺんには皆から憧れの対象となる、ごく少ない高校のスター☆がいて
真ん中に一般的な人がたくさんいて
そして、そこから下には
あまり好まれない人たちや、とても劣っているとみなされる人たちがいて
そんな階級社会がはっきりと学校にあるそうです。
それは多分
芸術学校(ダンス科、演劇科、ミュージカルシアター科の高校)という
個性の強い子の集まる学校だったせいもあるでしょう。

イギリスの高校にあたる課程は二年間です。(イギリスの義務教育は16歳まで)
日本で高校の普通科を一年間履修して、二年生の夏からイギリスへ行った優香は、合わせて三年間半の高校生活を送りました。
イギリスでは、この二年間を自分の専門性を見つけ、どんな大学に進んで、より、専門技術を身につけるか? を問う時間としているようです。

優香はまだ英語がわからない状態でこの学校へ留学しました。
高校課程の一般科目の授業が午後まであり、その後に、専攻科の授業が夕飯の時間前までビッシリあります。そして寮の相部屋で眠り、翌朝、朝礼からはじまり〜
二年間、とても狭いコミュニティーの中での生活しかありません。
授業で何かをグループでやるときは
それぞれが所属階級のようなものをわかっていて集まるという具合で
グループならばまだ、どこかに入れても
一番キツかったペアを組んでやる時は
優香とペアを組もうとする子がいなかったそうです。
優香は自分で言っていました。
「私はみんなから疎まれている人たちの、更に下、階級に入りさえしない下だったの」

ただ一人の日本人留学生。(優香の専攻科では)
英語がちゃんと話せないというだけで
どれだけ蔑まれたかわからないけれど
でも[ひらめき]
私は一番下にいることを逆に利用した[グッド(上向き矢印)]と言います。
真ん中より下の人たちは自分の位置がわかっているので、なかなかスター☆には近付けないそうです。
でも、一番したの優香は、誰に気兼ねすることもなく
「誰も私とペアを組んでくれないの。困っているの」とスター☆のところへ、相談しに行っていたそうです。
スター☆は余裕があるので、日本人の蔑まれている優香の立ち位置など気にすることなく、
「あら、困ったわね」と取り合ってくれたそうです。

学校へは、親として私から、またガーディアンと呼ばれるイギリスでの保護者から、そして、日本で少し英会話を教えてくれていたイギリス人女性Lucyからも(後記の札幌人図鑑中に話しがでてくる女性です)
授業でペアで何かをする時に、優香がひとりにならないよう、教師はよく見て注意して欲しいと文書で送りましたが
結局は改善されなかったようです。

そんな荒波の中に私は娘を放り込んでしまったのね〜[あせあせ(飛び散る汗)]ただ、日本で気をもんでいるしかない〜[あせあせ(飛び散る汗)]
私はどうしたら良いのだろう〜[たらーっ(汗)]
でも、
今、途中で帰国したら、優香に何が残るんだろう??
将来への道を、大きくて広くて長くて・・・先に必ずある何かを目指して
そんなイメージでとらえてくれたなら
今のツラい経験でも、それをひとつずつ乗り越えたなら
何かが見えてくるんじゃないだろうか?
と希望を持ってくれたなら

そんな漠然とした親のエゴだけを胸に
私はあの二年間、入学式から、ソロ歌唱の発表、ミュージカル公演、聖歌隊公演、そして卒業式で、その年の最高音楽賞をもらっての歌唱披露も、、 なにひとつ、見に行ってあげる事は出来ませんでした。

その時期私自身はまだ、賢治を預けて優香のもとへ行く事など、全く出来る状態ではなくて、
日々の生活や、福祉の体制に将来への光が見つけられず、
まるでトンネルにいるかのような暗い閉塞感をおぼえて、
このトンネルには出口があるのかしら??と思いながら、がむしゃらに歩いていたものですから

娘にも
もーーー少し頑張れ[手(グー)]
と思ってしまったんですねぇ。。。。。。はい。[ふらふら]

大学には、世界各国からたくさんの人が集まっていましたから
こういう、いわゆる差別の経験は、高校の二年間で終わりました。
この高校時代の経験は彼女にとって、社会的弱者の気持ちを知る大きな経験となったと思います。
幼い頃から私と一緒に賢治を育てて、弱者といわれる家族を持つ者として、充分に心が育っていた優香に、更なる勉強が与えられたとは、何か少し皮肉です[たらーっ(汗)]

優香のブログで
札幌人図鑑にとりあげていただいたことを知りました。(笑)

ここです  http://sapporojinzukan.sapolog.com/e425729.html 

今だからこんなに明るく話せるんですね。
大変だったことやツラかったことは、大学時代にも、まだまだたくさんあるのを知っているけれど
結局、今振り返って
このように明るく、自身の糧となった日々として語れるあなたを
とても誇りに感じます。