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正論と現実と愛 [哲学かぃ?の話]

好きな作家は?と聞かれたら
今 私は宮部みゆきさん!と即答する。
彼女は推理小説家として有名でもあるが、時代小説家としても、またアニメ化された『ブレイブ ストーリー』のようなファンタジー冒険もの、みたいなのや 色々なジャンルの小説を書く
とっ、とにかくスゴイ作家なのだ。
↑・・・・文章力がない私が書くと 大作家さんの紹介もこの程度になってしまう<(_ _)>

           ☆゚・*:.。. .。.:*・゜☆゚・*:.。. .。.:*・゜☆゚・*:.。. .。.:*・゜☆

相手の立場になること

たとえば ただの会話で。。。
今の一言を発した 相手の立場 になること

たとえば 日常で。。。。
皆 社会から与えられたそれぞれの立場で日常をこなしている
その
それぞれの立場を想像して 相手の立場 になること

たとえば 問題に直面したときや、その先を考えなければならないとき。。。。。
問題に直面している自分から離れて
同じく問題に直面している  相手の立場 になること。予測されるその後の 相手の立場 を考えられること


人は自分の頭に浮かぶ言葉を発し
自分の日常が人生の中心であり
問題回避 解決は自分を守るためであり 
その後の自分が今より良くなると予測して行動を起こす
だって それが 人間だもの

ぼくさーのよーな賢治.jpg

いきなり賢治の画像です(笑)
これは先週末 金曜日の夜に
また 眠れなくて 
お布団に顔をスリスリ。体を半分起こしては バタンと顔を落として スリスリ。
覚醒期のような激しい動きはないものの
眠れなくて 一晩中 もぞもぞしていました。
賢治は右の機能の方が発達していて 左が弱いです
ですから 顔を下にするときも、利き側の右から落ちます。
画像の賢治の右目が腫れているのは
右顔ばかり、スリスリしたからです。

賢治は体をまっすぐに保てなくて、椅子に座っていても傾いてしまいます。
賢治の椅子には 車椅子以外にも工房椅子といわれるものがあります。
これは、体が不自由な人がいかに体の負担を軽減して座っていられるかを考慮した椅子です。
賢治の背丈はもちろん、お尻、肩 腰の位置を測り、体の線にそってウレタンでくぼみをつけ、頭を支え、胸ベルトで崩れる姿勢を留めて、
体調によってはリクライニング機能で体を楽にできたりする とってもすばらしい椅子です。

で、何の話しでしたっけ??
大作家さんの紹介はできなくても、賢治の話しとなると、椅子ひとつでも饒舌?な私(笑)

賢治が寝ないと 私も眠れない。
眠れないのは辛いです。
眠りたい(笑)
だからといって、賢治に「ナゼ私を眠らせてくれないの?」なんて怒りは湧かない
それは母だから、という母性愛とは違う
もちろん偽善(笑)でもない

まったく喋れない自分を想像する
動きたいと思っても1メートル先にも行けない自分を想像する
自分の生活24時間すべて
人の手をかりなければならない自分を想像する

痛い~ おいしい~ 嫌だ~ 楽しい~ なんでも良いよ 喋れるって 
たとえ決められたメニューでも、自分の好きな順番に食べたい量を食べたいな~
トイレに行きたいときに自分でトイレに行って用を足したいな~
ズレたお布団を自分に掛けなおせたら あったかいな~

単純明快

出来る人が賢治の助けとなれば良いだけ
それは母親の私じゃなくて、姉の優香でも、祖父母でも
お仕事の中でとはいえ 寄宿舎の先生も、ヘルパーさんも、
誰もが
賢治に 『やらされている』なんて思ってもいない
また、賢治が『かわいそうだからやってあげている』なんて思っていない
みんなそれぞれが
現実にそれを必要とする状況があるから やる。

もしわたしたちに規定仕事数なんてものがあるとしたら
賢治を助けると
仕事が ひとつ 増えてしまうかもしれないけれど
世の中に
規定仕事数なんてないから
私たちはあたりまえに賢治をサポートする



ここで
やっと文頭に登場した宮部みゆきさんにつながります~(笑)
先にあげた『ブレイブ ストーリー』の中で
家を出て行った父親が息子(主人公)に向かって心の奥底にある自分を放つ場面

「俺が どれだけ我慢しているかも知らないで・・・
働いて 働いて 寝る時間もけずって働いて
それでも 誰も俺に優しくない。 感謝しない。 当たり前だと思っている。
・・・こんなのが俺の人生か?
うまいもの食って 欲しいもの買って 俺は俺のために生きちゃいけないのか?俺のためだけに!!
だから
俺は オトナも夫も父親も 全部やめてやる!」


宮部みゆきさんは作家としてあふれる想像力からこの文を書いたのか!?それとも・・
下世話な想像はやめようっと(;*-- (笑)

たとえば もし
男(夫)の役目を
辛くても、疲れていても、遅くまで毎日外に出て家族のために働くこととする
女(妻)の役目を
夫が得る収入とその労働の大変さに感謝しながら、家で家事や育児をすることとする
子供の役目を
父の大変さをよく理解し、感謝し敬い、育ててもらうものとする

このように いわゆる 正論 らしきものに
「家庭」をあてはめたとしたならば
人間ってなんて愚かな生き物なのだろう?と思う
それならば
男も女も家族など持たずに
はじめから自分ひとりで生きれば良い
頼みもしないのに生まれ出された子供は迷惑だ。



正論がいつも すべての正しい解釈ではない
人は正論では片付けられない現実の中で生きている
そこには 正論よりもむしろ 単純明快な 人としての優しさがあれば良いのではないか?
また
愛とは正論に基づいたものではない
正論に強要されるものでもない
何が起こりうるかわからない現実の中で
いかに
『自分』から離れて 相手の立場になれるか
それが愛なのだと思う 
  
 
















コメント(2) 

コメント 2

PTあや

やっぱ金曜日なにか
おかしかったんですねぇ…。
by PTあや (2008-03-05 00:49) 

Kenji

あや先生>
そう! やっぱ金曜は、、午前中から変でしたものね。
低気圧? 風邪っぽかった?
何か言ってくれたら~と思うんですが
ただ、それでもウォーカーのスプリングが気に入ってた姿はカワイかったですが(笑)
先生、お昼を食べる時間もなく装具のご相談ごめんなさい!!
あれから午後もびっしりセラピーだったんですよね。。。<(_ _)>
先生痩せちゃう(TT)
by Kenji (2008-03-05 10:10) 

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